本サイトの開設にあたって
(02・11・18)
なぜ、人間はコトバを発し、文字を発明したのだろうか?
コトバの根源にあるものとは、おそらく、身を振り絞って出さんばかりの叫び声ではなかったかと思う。
そして、その叫び声とは、人間が人間であるがゆえに持つ、喜怒哀楽の感情だったのではないだろうか。
他者に対して、何かを伝えたいという必死の思いが、コトバを産み、そして文字を編み出した。そうしたメッセージを伝えるため、人間は紙を作り、印刷術を発明した。
21世紀を迎えたいま、コトバは「0、1」というデジタルの信号に変換され、インターネットを通じて、瞬時のうちに国境を越え、世界を駆けめぐっている。
私が、いま、敢えてこのサイトを開設し、コトバを発しようと決意したのは、自らがメディアたらんと欲したからである。
9・11をきっかけに、全世界的な規模で、いま、あらゆる形の「自由」が抑圧されようとしている。その中にはもちろん、自由を形づくる大本となる「表現の自由」も含まれている。
そして、これまでは「表現の自由」の象徴であったインターネットも、いまや統治権力の側によって、単なる監視ツールへとねじ曲げられようとしている。
「サイバー全体主義」は、いまや、すぐ私たちの目の前に来ている。デモクラシーの危機は、実は日本一国だけの問題ではないのだ。
だからこそ、われわれはインターネットの自由を守りらなければならないのだ。
それには、このインターネットを通じて、メッセージを発する以外にない。
自由も権利も、天からの贈り物のように、自然と降ってくるものではないのだ。
生まれながらに自由であり、平等であるという、人間としての権利、すなわち「人権」とは、近代社会が形づくられていく過程で、民衆一人ひとりが統治権力との絶えざる闘いによって勝ち取ってきたものだ。
そして、それは闘うことをやめてしまえば、跡形もなく、消えてなくなってしまう運命にある。
それゆえ、人間としての自由も権利も、いまこうやって書き続け、闘い続けることの中にこそある。
ここで私がこれから書き連ねていくであろうコトバは、おそらく、マスメディアからは無視され、黙殺され、また、切り捨てられるものもあるだろう。
しかし、私の発するコトバは「大河の一滴」でいいと思っている。
その一滴は源流を育み、地下水となって、深い地層の下をくぐり抜けて小川へと流れ込み、やがて、大海原へと開けていく大河とならんことを欲する。
なぜならば、歴史とは常に少数から、いや、たった一人の決起から始まるからだ。であるならば、私の一滴は岩をも切り裂く一滴でありたい。
また、「私」という「メディア」である本サイトは、言うなれば、大海原を漂流する、手づくりの帆を掲げて進む小舟のようなものでもある。
こうした手づくりの小舟は、風の吹くまま、自由気ままにメッセージを発するなかで、時には怒り、時には笑い、また落涙することもあるだろう。
穏やかななぎの中を進む順風満帆のときもあれば、荒れ狂う嵐に見舞われ、船体がひっくり返ることもあるに違いない。
しかし、それはそれでいい。そうした航海こそが人生そのものだからだ。
そして、旅の終わりに「自分の人生はほんとうに生きるに値した」と、そんな満足感に浸れれば、それでいいではないか。
コトバは命である。
人間はコトバによってものを考え、その考えを他者に伝えることによって、コミュニケーションが成立する。そこからお互いの理解や信頼、そして愛情が生まれてくるのだ。
私にとって、コトバをしゃべり、文字を使って書くということは、「生きる」と同義
である。
いま、自ら「メディア」となった私は、ここに新たなメッセージを発信していこうと思う。
私は、ここでコトバを幾重にも発信していくことによって、お互いが多様な価値観を認め合いながら、一人ひとりが自由であり、自立しつづけようとする社会であることを目指したい。
そして、社会の中から差別と偏見を排し、異端やマイノリティーに対しても寛容であるとともに、「人の道」に反する行為を許さない社会を目指す。
ここで言う「人道に反する罪」とは、具体的には、ありとあらゆる権力犯罪を指すが、なかでも最も罪が重いのは、「戦争」、すなわち、国家権力による殺戮行為である。
そして、私が放つコトバとは、このように統治権力が根源的に抱え持つ「悪」を抉り出していく一方で、人間が人間であるがゆえに、他者を心から愛し、慈しんでいく思いを大切にしたい。
「愛する」とは、日常的な狭い意味では、男と女が、また人間同士が、お互いを大事に思い、その存在を認め合い、そして、リスペクトすることである。
が、もっと普遍的な意味における深い「愛」とは、罪を認めて跪いた相手を許すことであり、また、本人自身もいつかそうした罪を犯すかもしれない、矛盾に満ちた、不完全な存在であることを受け入れたうえで、人間同士がお互いの心を開いていくことだと思うからである。
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