ケータイは要らない
(03・6・10)

     

 じつは私、ケータイ(=携帯電話、PHS)を持っていません。

 と、こんなことを明かすと、「そんなんで、不便極まりないじゃないか」はまだいい

にしても、「どうしてなんだ、おかしい」と、最近では、ヤマタフ(=エロ拓)を見る

ような目で、変人、ヘンタイ扱いされる始末です(笑)。

 さらにもっと言うと、何と私はPCも持っていません。

 確かに、PCがないとホームページを見れないなど、不便なことが、最近ではままあ

るのですが、それでも、図書館やマンガ喫茶に置いてあるPCで用を足しています。

 まあ、PCはともかく、ケータイに話を戻すと、少なくとも、私にはケータイは必要

ありません。たぶん、これからも持つことはないでしょう。

 なぜ、ケータイが要らないのか。それは繰り返しますが、持つ必要性を感じない、と

いうことに尽きます。

 そこで、よく聞かれるのが、「そんな取材とか、人と会う仕事をやっていて、不便で

はないのか」ということです。

 しかし、不便なことは、一切ありません。

 というのは、いろんな連絡ややりとりは、自宅の電話、FAX、そして、電子メール

ですべて用が足ります。ただでさえ私はビンボーしてるのに、ケータイのような無駄の

極致にあるものにカネをかける余裕はどこにもありません。

さらに、うるさい人は「もし、人と会う約束をしてて、時間を変更したり、ドタキャ

ンになった場合はどうするのか」と聞いてきます。

 しかし、それでもまったく問題はありません。

 なぜなら、私はケータイを持っていなくても、相手は必ずケータイを持っているから

です。

 ですから、待ち合わせの時間に相手がもし、来ないのであれば、私がその相手のケー

タイに電話をすれば済みますし、逆に私が待ち合わせ時間に遅れそうなときは、私がそ

の相手のケータイに電話をすればいいだけですから。

そもそも、私の中学、高校、大学時代、そして、新聞記者の仕事を始めてまもなくの

頃は、ケータイなんて存在しませんでした。

 昔はそれこそ家に黒電話しかなく、友人やおねえちゃんと電話で話そうと思っても、

家族にツツ抜けという感じだったので、そういうときは、近くの公衆電話を使ってまし

た。でも、その公衆電話も、今みたいにカード式ではなく、10円玉しか使えないヤツ

だったので、市外とか県外の長距離電話をすると、ものすごい勢いで、10円玉が電話

機に吸い込まれていったのを、懐かしく思い出します。

 んで、仕事を始めてからも、現場から原稿を勧進帳(メモを見ながら電話で原稿を吹

き込むこと)で送ることを幾度となくやっていたし、外に出ればいつポケベルで呼び出

されるかわからないので、常に公衆電話の位置を把握しておくということが、習い性に

なっていました。そして、当時は、今ほどにカード式の公衆電話が普及していなかった

ので、いつも使い終わった筒型のフィルムケースに10円玉を入れて、持ち歩いていま

した。

 そうした昔を思えば、私にとっては、カード式の公衆電話があるだけで、既に必要十

分条件を満たしています。

 私にとって、ケータイとはポケベルと同じです。

 何というのか、「管理の象徴」とでもいうのか、「犬の首輪」とでもいうのか、ケー

タイを発信だけに使えたらいいですが、そうはいきません。必ず着信を受けなければな

りません。外を出て、ふらふらと自由に歩いているのに、いちいち電話の着信を相手に

してたら、鬱陶しくてかないません。

 電車に乗ったら、ゆっくりと車窓の景色を見たり、吊り広告を見たり、また、きれい

なおねえちゃんでも見て、目の保養してた方が全然、いいです。

 しかし、世の大勢の人は、目を血走らせて、親指をピッピッと動かして、必死にメー

ルを打ってます。私には到底、理解できないことです。

 んで、発信したけりゃ、公衆電話があります。公衆電話も一時期より、確かに台数は

減りましたが、街中にないことはありません。どこかしら、必ず公衆電話のボックスは

ありますし、なけりゃ、食堂とか、喫茶店に入れば、ピンクの電話くらい置いてありま

す。
 最近、ダウンタウンの松っちゃんが「何か、すごいでしょ、最近のケータイ。もう必

死になって、カメラつけたりとか」とツーカーの宣伝に出てますが、私に言わせれば、

写メールや電子メール機能はもとより、そもそも喋るだけのケータイそのものに必要性

を感じていません。挙げ句の果てには、ケータイでチケットを買ったり、自販機で使え

るようにしたりとか、もう、本当に私には縁のない世界です。

 ですから、ケータイでもすぐにアクセスできる出会い系サイトなんかが、援助交際

(=売春)の温床になってると、規制対象としてヤリ玉に上がってますが、ケータイを持

っていない私にはまったく関係ありません。

私はたぶん、この先もケータイを持つことはないでしょう。それはケータイを持たな

ければならないだけの必要性、そして、意味を見いだすことが、まったくできないから

です。

 「ケータイは要らない」。これだけははっきりと断言できます。

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