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 ファッションとしての“現代思想”
(03・4・2)

 時折、調べ物のために、慶応の三田図書館を訪れることがありますが、いまの時期、

就職活動の真っ最中であるせいか、リクルートスーツ姿のおにいちゃん、おねえちゃん

が、いやがおうでも目につきます。

 私らの頃は、就職協定という縛りが、まだ効いていましたので、学生の就職活動が本

格化するのは、ゴールデンウィークが終わってからでしたが、早い人は今は3年生の秋

から動きだすということです。ちょっとシンジラレナイという感じですね。

 自分の学生時代は、バブル前段期の景気のいい時代でもあり、「ジャパン・アズ・ナ

ンバー1」の掛け声が席巻していたので、私のような文学部の人間でも、就職先がない

、ということはまずありえませんでした。どこかしら会社を受ければ、間違いなく引っ

掛かるというキラクさがありました。

 

 そういう時代背景もあったのでしょうが、仏文科3年のときに所属していた、サルト

ル研究の永井旦教授のゼミで、「ポスト・モダン」と称されるフランスの現代思想家、

ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリの「アンチ・オイディプス」をテキストにし

ていたのを思い出します。

 夏休みには軽井沢に合宿に行って、ゼミのおねえちゃんとテニスをしたり、夜はコン

パで酒を飲んだりと、勉強をしに行ったというより、遊びに行ったという方が正確です

が、ハッキリと言って、アンチ・オイディプスを読んでも、その難解さのあまり、さっ

ぱり理解できませんでした。それは、私だけでなく、ゼミの人間も、教授も同じだった

と思います。

 

 1968年のパリ5月革命を機に、フランスの政治、社会、文化は大きく変わったと

いいます。特に「ポスト・モダン」と称されるフランス現代思想は、この五月革命後、

雨後の筍のように出てきます。

 しかし、こうしたフランス現代思想は、原典そのものがかなり難解であるのに加えて

、翻訳者の日本語能力の欠如により、とても私も含めたフツーの人たちが気軽に読めた

代物ではありません。特に前出のアンチ・オイディプスがその典型でした(あと、例え

ば、68年以降のフィリップ・ソレルスの小説がそうですね)。読んでいて、いったい

何を言いたいのかがさっぱりわからないのです。

 

 「明晰ならざるもの、フランス語にあらず」(Ce n’est pas clai

r n’est pas francais.)のことわざにあるように、いたずらに

難解さを弄ぶことは、本来、まったくフランス的ではありません。

 しかし、当時の私のような、仏文科に籍を置いていたフランスかぶれは、「フランス

現代思想」「ポスト・モダン」というだけで、そういった存在を難解であるがゆえに、

盲目的にありがたがり、無批判に崇め奉る癖がありました。これなども、一種の「カル

ト」と呼んでいいかと思います(笑)。

 つまり、世の中から遊離した象牙の塔で、選ばれし自分たちは、何かスゴイことをや

っていて、それが「フランス」という衣をまとっているがゆえに、何だかカッコイイこ

とをやっているんだという、自己満足というか、意味不明な陶酔に浸っていたわけです。


 んで、こうした雰囲気はいまなお、大学のフランス文学科全体、そして、日本人のフ

ランスを見る視点にも、強固として存在しているようです。要は、ドゥルーズ、ガタリ

といっても、エルメスやシャネル、クリスチャン・ディオールといったファッションの

アイテムと何ら変わらないのです。

 ただ、こうした「ファッションとしての現代思想」が成立しえたのは、当時の時代背

景もあるかもしれません。東西冷戦のワクの中、アメリカ様の核の加護のもと、日本は

ただひたすらGNPの上昇にだけに、目を向けていればよかったのですから。これもそ

んなノー天気な時代であったゆえの、まさに「時代の産物」といえるかもしれません。

 逆にこういうご時世だからこそ、身体性を喪失した、虚飾としての現代思想をリスト

ラし、ナマナマしく、ウサン臭い現実との関わりのなかから、もう一度、自分のコトバ

で己の思想を紡ぎだしていく切実さを実感します。そうなったとき、はじめて、思想は

ファッションという虚飾を剥ぎ落とし、「実体」として、ひとりの人間の中で血肉化さ

れていくような気がします。

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