一青窈の「もらい泣き」を聴く



03・3・14

 

 一青窈(ひとと・よう)がいい。

 最近は、デビューシングルの「もらい泣き」が、あちこちで流れているので、聴いた

ことがあるな、という人も多いと思います。

 「えいやああ」の声で始まる、サビの部分なんかは、どうしてこんなに切ない声が出

るんだろう、と私なんかは思います。んで、気がつくと、彼女の歌を歌っています。

 以前に、TBS系の深夜番組「CDTV」にゲスト出演したとき、彼女が靴を脱いで

裸足のまま歌っていました。

 そして、サビのあたりで、突然、ひざまずいて崩れていき、両手を前に出しながら、

振り絞るような声を出したのを見たとき、私は思わず「うわーっ」と声を挙げてしまい

ました。あそこまで、全身を使って自分の「歌」を表現するアーティストを見たのは、

久しぶりでしたから。

 んで、オリコン・チャートでも、30万枚を突破し、ファースト・アルバム「月天心」

も好調のようです。私も聴きましたが、彼女は表現力に幅があって、いいです。

 見た感じちょっとコケティッシュな彼女は、確か父親が中国人(台湾人?)、母親が

日本人のクレオールだそうで、台湾で生まれ育ち、中学生くらいになって、日本にやっ

てきたといいます。

 ある音楽雑誌のインタビューで、彼女は「『もらい泣き』というのは、本当にいい言

葉だと思う。中国語でいうと、『同情涙』という表現があるが、それとも違う」という

意味のことを言っていました。

 そういえば、「もらい泣き」という言葉には、お互いの心と心が触れ合って、それに

動かされて、「涙」をもらうという意味です。もしかしたら、他の外国語の表現でも、

こうした「もらい泣き」にピタリと来る言葉というのは、ないのかもしれませんね。

 ふだん、自分が何気なく使っている日本語の魅力だとか、みずみずしさというものを、

こういう歌を通して私は再発見したような気がします。

 Kiroroは沖縄、元ちとせは奄美大島と、最近の歌姫(もっとも最近に限ったこ

とでもないですが)は、黒潮の流れの中にある琉球弧という“辺境”(=フロンティア)

から出ています。そして、今度の一青窈は台湾ですから。

 あんまり文化人類学的なカタイ解釈をしてもしょうがないのですが(笑)、こうした

理由を考えると、一つには、日本人の古層にある「縄文系」の血が色濃く残っているの

が、辺境、つまり、アイヌが多く住んでいる北海道であり、そして沖縄です。

 縄文系というのは、その後、大陸から米と鉄器を持って入り込んできた弥生系とは対

象的に、芸術だとか、感性の部分で、突出した表現力がありました。

 例えば、土器一つとってみても、弥生式の方は、機能的で冷たい感じがするのに対し、

縄文系は火炎式土器に象徴されるように、芸術作品そのものですものね。

 それはともかく、縄文系という「マイノリティー」に身を置いたとき、ふだん、私た

ちには見えないものがいろいろと見え、そして、感じるものがあるのかもしれませんね

 ふだん、東京(=首都圏)という大都会にいて、そこで情報を発信していると、自分

があたかも日本の“中心”いるような錯覚に陥ってしまいます。

 が、こういう歌を聴いていると、そういう自分も所詮はただの「フィクション」にす

ぎないのではないか、ということを痛感してしまいます。

 その意味では、私も「東京という虚」の一部分でしかないのかもしれませんね。

 #最近、宇多田ヒカルがアカンな。そもそも、なんで、あんなにデブになったんや(笑)

彼女もほんとにどこにでもある俗なポップスになっちゃったなあ……。その点、一青窈

には、あんまりマスコミには露出せんでええから、そのぶん時間を十分かけて、いい

曲を末永く出してほしいわな。

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