麻雀とツキ

03・11・8

 例によって、またどうでもいい昔の思い出話を書きますが、学生時代、ヒヨウラにあ

る学生ばかりの、古い共同アパートに住んでいました。

 ちなみに、「ヒヨウラ」とは、慶応日吉キャンパスから見て「駅の裏手」、つまり、

日吉駅の西口方面のことを指しますが、住んでいる人間からすれば、そこを「オモテ」

だと思っていますので、キャンパスのある方が「ヒヨウラ」ということになります。


 日吉の浜銀通りをトコトコと下り、さらに目の前にそびえる小さな丘をやっとこさ登

り切ったところにあるそのアパートの名を、住民はなぜか「チョッチュネ荘」と呼んで

いました(もちろん正式名称ではありません)。

 共同のフロ、黒電話、洗濯機付きで何と家賃1万8千円(4畳半)という、破格の安

さでした。入居者も同じ大学の人間がほとんどで、当時の私は、プロレスラーとしてい

ちばん脂の乗っていた長州力の向こうを張って、髪の毛を肩まで伸ばし、みんなでよく

酒を飲みに行ったりしたものです。

 で、そのチョッチュネ荘の仲間と一緒に、毎晩のようにやっていたのが、麻雀です。

 麻雀に関しては、私は高校時代にちょっとカジッた程度でしたが、このチョッチュネ

荘に入ってからは、しょっちゅう(というより、ほぼ毎晩)、下宿の中で雀卓を囲んだ

ものです。

 とりわけ、1年下の商学部で、卒業後は東京銀行に就職した名古屋出身のA君が本当

に麻雀が好きで、彼が一声かけると、どこからともなくワーッとメンツが集まり、一つ

の下宿で2卓もできあがり、Aリーグ、Bリーグと入れ替え戦をやっていたものです。

 その後、麻雀は新聞社に入って、支局時代に、麻雀キチガイの支局長がいたりしたと

きに、そこは社畜らしく、まあ、“社内接待”ということで、お付き合いでやる程度で

したが、最近はまったくやる機会もないし、また、やりたいとも思いません。

 が、ただ、そこで麻雀を通して、私が学んだというか、身銭を切って体得した「真実」

が一つあります。

 それは、ものごととはすべからく「ツキ」(=運)に支配されている、ということです。


 麻雀もフシギなもので、いったんツキに見放されて、ドツボにはまってしまうと、親

のリーチの一発目で、「まさかそんなん待ちをするのかよ」という牌を放り込んでしま

う一方で、いったん、ツキに乗りはじめると、「えーっ」という感じでツモがサクサク

入ってきて、あっという間にリーチ、即ヅモということがいくらでもあります。

 そこで感じたのは、人間というのは、「ツキ」という、努力であるとか、人知という

ものを越えた見えないチカラに左右されているもんだなあ、ということでした。そして

それは麻雀のようなゲームだけでなく、人間の人生そのものにも当てはまる、というの

が、私がそこで到達した結論です。



 ただ、「ツキ」という、いわば「人間存在の不条理」を認めるということは、決して

努力や向上を否定するものではありません。むしろ、常に自らを高めていくインセン

ティブなしに、ツキは掴めないものだと思います。

 が、どんなに必死に努力を重ねても、ダメなときもあるのが、残念ながら、人間の運

命というものです。しかし、「ネバー・ギブアップ」の精神は大事です。



 学生時代、そのA君と一緒にヒヨウラの雀荘で卓を囲んでいたとき、私が東場で振り

込みまくって、既に箱下(=マイナス)1万点に転落していました。通常なら、どう考

えても、そこからトップに踊り出るということはほとんどありえませんが、そのとき、

ほんとに考えられないことが起こったのです。

 何と、南場で親が回ってきたとき、私は突如、「字一色・小四喜」のダブル役満をア

ガッてしまったのです。そこで一挙に9万6千点が加算され、もちろん、トップでその

半チャンを終えましたが、そこでしみじみと感じたことは、「世の中に奇跡は存在する」

ということでした(笑)。


 もちろん、こんなことはめったにあるものではありませんが、このときのダブル役満

をアガッた体験は、その後の私に大きな影響を与えました。

 これは単に麻雀という「お遊びとしてのゲーム」の話でしたが、「人生というゲーム」

においても、まったく同じことは言えると思います。

 つまり、諦めなければ、必ずチャンスというものは巡ってくるのであり、そして、そ

のチャンスを目の前にしたときは、あらゆる危険を無視して突っ込むということです。

 逆に、ツキに見放されているときは、何をやってもムダです。そういうときはジタバ

タせずに、静かに時の流れに身を任せ、潮目が変わるのを待つだけです。逆にそういう

時こそ、本筋を離れ、いろんな道草をして、自分を一回りも二回りも成長させるチャン

スだという気がしますが。


 話を戻すと、10代から20代のはじめにかけての、一般的には「青春時代」と称さ

れる、いわばモラトリアムの時期に、麻雀という、ムダなことこの上ないお遊びにウツ

ツを抜かすことができたのは、それはそれでよかったと、今にして思います。

 んで、そのチョッチュネ荘にも、A君をはじめとして、なかなか多士済々というか、

オモロイ人間が揃っていました。その意味でも、「東京」という地は、地方から人材が

集まってくる場所なのですね。そんなムダな時間を楽しく過ごした学生時代を、懐かし

く思い出し、愛情を込めてこうやって書いているのです。


インデックスに戻る