|
とどまることを知らない「医療過誤」の問題について、現場でのルポを踏まえながら、大学医局の人事システム、医療保険制度にも切り込み、患者が病院で「殺されない」ためには、どうしたらいいかを考えています。
なお、この本については、今年(02年)2月24日付け新潟日報朝刊をはじめ、全国の地方紙に共同通信の配信による書評記事が掲載されていますので、その全文をここに紹介しておきます。
評者の山口研一郎氏は大阪府高槻市の脳外科医で、市民団体「現代医療を考える会」の代表を務める傍ら、脳死・臓器移植、クローン治療などの先端医療の在り方を見据えながら、患者の立場に軸足を置いて、医学者の倫理と責任の問題を深く追及されておられる方です。そういう方に(ちなみに、私は山口氏とはまったく面識がありませんが)、この本が一定の評価を頂けたことについては、著者として大きな喜びを感じる次第です。
<医療過誤が後を絶たない。その度、マスメディアが大きく取り上げ、医療機関に調査委員会が設置され、警察も介入し、裁判になるケースもある。それでも続発するのは医師の倫理性の欠如もさることながら、構造的欠陥があるのでは、と考えるのは当然だ。
本書は二部構成になっている。一部は国公立大学病院などで生じた「信じられないような」医療過誤の実態を綿密な取材で報告し、二部で医療過誤の土壌を掘り起こす。大学医局の密室性や封建制、医療保険制度が内包する諸問題、医師会と政治の癒着…。
その温床は数限りなくあるが、国民の中にある医療に対する信仰、健康願望も一因になっていると、著者は主張する。そして最後に「殺されないためには病院に近づかないこと」というショッキングな持論が展開される。
医療とは、一歩間違えば患者を傷つけ、死に至らしめる技術だ。当然、医師には個々の患者の心や体を責任を持って支え抜く技量が必要となる。しかし、医学部の教育でも、医局での研修でも「医師は患者のしかばねを乗り越えて一人前になる」と私たちは教えられてきた。
さらに過誤を引き起こしてしまった時、必ずといっていいほど「事実を絶対に口外するな」と厳命される。最も人権に人命に抵触する医療の分野で、最も前近代的かつ非論理的なことがまかり通る。筆者が指摘し続けるのもその点だ。
筆者が今後の課題として提唱するいくつかの事項の中で、情報公開は大いに賛成だが
、「コスト意識」の導入については再考してほしい。経営の合理化は看護職員などの削減を招き、医療過誤に拍車をかける懸念があるからだ。
本書の意義は医療過誤のシステムの解明を試みたことだ。しかし現代医療の一層の専門化・細分化は、患者の、自らの身体の管理を医師に任せきりにする風潮を助長することも見逃せない。医療過誤は「医療の在り方」そのものを問いかけているのかもしれない。>
|